カナダ漂流記といっても始まりはハワイである。2008年の始まりに、私は2年間も伝道から帰ってくる彼氏を待ち焦がれて待ち焦がれていた。ついに空港で運命の再開、、、ところが変わった彼をみて氷水をぶっかけられたような気分に。こんなはずじゃあなかったのに~~~~、と人生計画の変更を強いられた私。雷に打たれたってこんなに衝撃はうけなかったろう。
それから毎日毎日一体これからどうしようか考えた。彼となんとかしてみよう、と努力もしてみたがやっぱり駄目なものは全然駄目。一ヶ月毎日断食して(もちろん夕食は食べました)よく考えた。その時になぜかエテル書の2~3章を読む必要があるような気になって毎日毎日読んでいた。読んでいるうちに、今はアメリカに着たけど、ジェレドの兄弟のようにここが約束の地ではなく、どこかにまた動く必要があるといわれている気がしてきた。土台こんなに真っ黒に日焼けしてしまっては日本にかえっても浮きまくるだけだろう。もとから私は日本には適応できないだろうと母がため息まじりに話していたし。
春が来る頃には日本には戻らず、新たな土地にいく決心が固まっていた。一番希望はオーストラリア、日本人は多いし、国際色豊かでダイビング、アウトドア、ビーチにいろんなものが満載でどっから考えてもとても楽しそうだった。友人も何人かいてみんな家に遊びに来るように誘ってくれた。シドニーかなブリスベンかな?とわくわくしていた私だが祈りの答えは決定的にノーであった。カナダは結構下のほうの候補であったのだが、何故かカナダがいいと思った。カナダといえば知り合いもいないうえに白人社会な冷たい感じがしてどうしてもなじめなさそうだった。
まあ、とにかくやってみるか、という気分で一時日本に帰国。カナダといっても日本の33倍もあるということを知らなかった私は一体どこにいくか思案していた。知っているのはトロントとバンクーバーのみ。バンクーバーは暖かいし、日本人も多いということで惹かれていたが、お祈りの答えは、はっきりとしたノーだった。じゃ、トロントかな?と思っていたところ、出発一ヶ月前にカルガリーで会社を持っている日本人がうちのワードに訪問してきた。彼いわく、カルガリーの方が仕事が沢山あるということ。カルガリーっていったいどこ?と地図に向かった私。うちの家族はなぜかカルガリーの方がトロントよりお前にあっているということ。大都市は私にはどうも似合わないというのが母の意見だった。まあ、私もカナダで一攫千金あげるつもりだったので、仕事の多いほうがいいかと、賛成。偶然にもハワイの友達が何ヶ月か前にカルガリーに引っ越したらしく、いろいろ情報を提供してくれた。
カナダに移住する前の日にお父さんは私に神権の祝福を授けてくれた。敬虔に家族で集まって祈る。祝福が終わった後、母が不満げに父に、”ちょっと、素晴らしい神権者との出会いとかなにかそういう祝福はなかったの?”、といったが父は特にそう感じなかったといっていた。そんな横で私は苦笑交じりに二人のやり取りを聞いていた。そんなことは一理考えたこともあったが、3年半を無駄に費やした私にはそんなにすぐ新しい人を探そうという気合はさすがになかった。男よりお金がいいというのがそのときの本音だろう。
日本にいる間に結婚なんてまだしなくていいといつもいう父が珍しく、私の理想のタイプっていったいなんだと聞いてきた。理想ねえ、と考え、まあ、真面目に働く人で、優しくて、教会に熱心で、、、、あと、面白くて、身長がたかくて、、、、ついでに見かけはまあまあいけてる人かなあ、といったら父が、”お前は一体自分が何様だと思っているんだ”、と温和な父が憤慨しだした。ついでに、”お父さんの身長はそんなに高くないし、そんなの必要ない”とぶつぶついっていた。ここ6~7年で父が憤慨してるのを見たのはこれがはじめてではないだろうか?ちょっと心の中でおかしく思った私だったが、神妙な返答をしておいた。
振り返ると、この年の初めほど落胆し、自分の決定に自信を失った時はなかったと思う。特に祈ってその答えに従うということに対してこれ程恐れやためらいを抱いたことはなかった。でも、だからといってそれをやめる訳にもいかなかった というよりかは、それ以外のやり方は知らなかった。
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