Monday, February 22, 2016

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Tuesday, September 13, 2011

Spirit of Christ (Christmas)

http://www.youtube.com/watch?v=tXXwtFWpAI8

Mother's Love

This is a true story of Mother’s Sacrifice during the China Earthquake.
After the Earthquake had subsided, when the rescuers reached the ruins of a young woman’s house, they saw her dead body through the cracks. But her pose was somehow strange that she knelt on her knees like a person was worshiping; her body was leaning forward, and her two hands were supporting by an object. The collapsed house had crashed her back and her head.

With so many difficulties, the leader of the rescuer team put his hand through a narrow gap on the wall to reach the woman’s body. He was hoping that this woman could be still alive. However, the cold and stiff body told him that she had passed away for sure.
He and the rest of the team left this house and were going to search the next collapsed building. For some reasons, the team leader was driven by a compelling force to go back to the ruin house of the dead woman. Again, he knelt down and used his had through the narrow cracks to search the little space under the dead body. Suddenly, he screamed with excitement,” A child! There is a child! “
The whole team worked together; carefully they removed the piles of ruined objects around the dead woman. There was a 3 months old little boy wrapped in a flowery blanket under his mother’s dead body. Obviously, the woman had made an ultimate sacrifice for saving her son. When her house was falling, she used her body to make a cover to protect her son. The little boy was still sleeping peacefully when the team leader picked him up.
The medical doctor came quickly to exam the little boy. After he opened the blanket, he saw a cell phone inside the blanket. There was a text message on the screen. It said,” If you can survive, you must remember that I love you.” This cell phone was passing around from one hand to another. Every body that read the message wept. ” If you can survive, you must remember that I love you.” Such is the mother’s love for her child!!

Friday, June 18, 2010

カナダ漂流記3

仕事を見つけようと努力する傍ら、私は毎晩毎晩色んなお国の人と遊び歩いていた。
ほとんど教会員ではなかったので家族が知ると心配したかもしれないが。ハウスメートとも遊んでいたし
たまに週末は教会員とパーティーもしていた。
ハワイとカナダでは本質的な違いがある。ハワイは知らない人にでも挨拶はキスとハグから始まるが、カナダでは目もあわせてくれない。そんなに違いに気が付いたのはしばらくあとになってからなので、ブランドンいわく私はおかまいなく全ての人、そしてワードの全ての男性にしゃべりかけていた、と後々私の印象についていっていた。もちろんこれは誇張である。土台、ブランドンの私の最初の印象は、”うるさい、しゃべりすぎ、気に障る”、と後々いっていた。人生楽しくて何が悪い、と私を遊び人と決め付けていたブランドンを脇目に毎日夜遅くまでどんちゃか遊びまくっていた。

そんな能天気な私でも仕事を見つけて実際に働くうちに一体これが自分の本当にしたいことなのか、という厳しい現実にぶつかった。日本に帰ったほうが将来のためにいいのではないだろうか。あれは12月16日のことだった。日本帰国計画をほぼ決定した私は携帯の契約も止めて、一応最後の確認として断食をすることに。あれはとても寒い寒い日曜日だった。正餐会で祈る私にはっきりとカナダに残るようにといわれた。そしてその日に私は日曜学校教師としての責任をうけ、なんと初めてブランドンが私を誘ってくれた。思い返せばなにかのサインだったかもしれないがこの時の私にはさっぱりピンと来ていなかった。

ブランドンいわく、もちろん私のことが気に入ったから誘ったらしいが私は違う受け取りからをしていた。
”外国から来ていて、家族もいなくて寂しいだろうから、クリスマスに家族との食事にこないか?”と誘ったブランドンに対して、”ああ、ありがとう、でも多分仕事が入ってるよ”、と答えた私の心の中では、”どうせ外国人で家族も友人もいなくて寂しくてかわいそうだからうちによんでやるよ”、といわれた気がした。そんな同情は必要ないなあ、と思った私にはそんな誘いはすぐに記憶のそこにしまわれていった。
本人は一応デートというか、個人的に誘ったつもりだったらしい。
この日、私はハウスメートにこういっていた、”日本に帰らないことに決めたけど、何故か私は来年の春か夏に日本に一度帰ってまた戻ってくるといわれている気がする。でもどうせヴィザが切れてする9月には日本に帰るので一体何故そんな必要があるのかはさっぱりわからない。別に日本や家族が恋しくてしょうがないわけでもない” 実際私はしょうしょう狐につままれたような気分であったが、あまり深く考えないようにした。

さて、日曜学校の教師として召された私には同僚がいて、彼も日本帰還宣教師だった。ちなみにうちのワードには偶然にも3人も札幌帰還の宣教師がいた。4人も日本の宣教師が集まるなんて小さな小さな世界だ。そんなんで日曜学校を支える日本帰還宣教師という目にみえないつながりができあがっていて時折期間宣教師同士で一緒に座るようになっていた。ブランドンの隣に座ったときに話が盛り上がって実はレッスンなんてそっちのけで二人で話していたが、そのあたりはブランドンはどちらかというと、私の愚痴の聞き役で、なにかしら気に食わないことがあるとブランドンに話して自分はけろっとすっきりして他の人と遊びに出かけるというのが私の毎日だった。2~3人の人とデートにいったが特に何もなく。いやあ、やっぱりハワイの褐色の肌が懐かしいなあ、とぼやくことが多かった。

日本つながりで日本食の食事会や寿司パーティーがあり、そんな折はブランドンに伝えていた。そんな中、ブランドンが、”まなちゃんはカルガリーの文句ばっかりいっていて(かわいそう)だからどこかにつれてってあげる”、ということで誘ってきた。あれは1月の21日のことだった。動物園にいってレストランへ、二人の時間はむしろ穏やかで心静かなものだった。真冬のカナダの動物園は動物と人間が五分五分くらいの人気のないものだった。やっぱり、寒い。おやつとしてバッグからごそごそとイチゴポッキーをだしたブランドンを今でも覚えている。私は鈍感、というか男の人と出かけることは特にデートだとは思ってもおらず、ブランドンとレストランで、”これはデートだよ”、と本人に言われて、へ~、と思った。私の反応をみてブランドンは、は~、と深いため息をついていた。その週の土曜日には一緒に韓国マーケットで買い物。次の日には二人でもちぱるを作る(ブランドンの得意料理)そして月曜日には家庭の夕べ。次の週の水曜日にはKoiというレストランで食事のあとInkehrtという映画を見に行く。私は新しい友達ができた、とうきうきしていた。

その週にブランドンに家族との食事に招待されたときは軽く返事したものの、あとから悩んだ。そのあたりにはあきらかに遊びにいく、というよりは二人でデートに出かけている、という雰囲気になっていたからだ。後から聞くと、ブランドンも誘ったもののそうとう後悔して、私が断ってくれればと思ったらしい。そもそも洗濯物を実家でしなくてはいけなくて、どうせ私も連れて行けば一石二鳥と思ったらしい。緊張しつつブランドンの実家にいくと、以外とみんな親切で緊張も解けた。食事の後映画を見ているうちに私たちははじめ手をつないだ。何故実家でなんだろう?と後から考えたが、目撃したブランドンの両親はちょっとショックを受けていたようだ。その後の質問が何故か鋭くなっていた。

これが私たちの始まりだった。ここからはとんとん拍子でものは進んでいき、バレンタインデーの当たりにはラブラブになっていた。

Thursday, June 17, 2010

カナダ漂流記2

行ったこともない国なので右も左もわからないけど、とにかく一旗あげるべく片道チケットを握って出発。
まあ、お金さえあればなんとかなるかなあ、となけなしの貯金をお腹の下にしのばせる。
長い飛行はひたすら寝るに限る。問題は迎えに来てくれる人がいるのだがどっちもあったことがないために一体ちゃんと遭えるのかどうかが疑問。しかし、空港は小さく、日本人らしき人物は私のみ。70代くらいの老夫婦が私を待っていた。カルガリーについて次の日に私は外を走りに出た。遅い秋の季節に全ての木々が黄色と赤に変わって葉っぱがいたるところに舞っていた。そんな黄金色の昼下がり、私は柔らかい土と葉の感触を足の裏に楽しんでいた。突然なにか塊のようなものがあがってきて、心の中に、”ここだ、ここが私の来るべき土地だ”、と強く感じた。軽い運動と新たに沸いてきた確信に安堵した私にはこれからのここでの将来がとても明るいものに見え始めた。

さて、私は10月の2日に上陸。実は私の旦那との出会いは私のカナダ漂流記のごく始まりにすでにおこっていたのだ。10月31日に独身者のハロウィーンダンスがあった。同じワードに集う男の子の一人が彼の友達をダンスに誘うように私に提案してきたが彼は19歳、これはどう考えても犯罪だろう、と思った私は女友達と行くことに。ところがダンスの直前に連れて行ってくれるはずの私たちの友人は他のプランがあるから、ということで断りの電話が。やっぱり女友達より男か。日本人二人では方向もわからずにっちもさっちもいかない私たちはその金曜日は二人で映画でも見ようかと話していた。彼女がうちに来る前に暇になった私は他の友達に電話していた。その友達はその夜ダンスにデートにいくはずであった。よく考えれば、電話をデートの最中にするなんてかなりの非常識だが、自分が暇をもてあましてるときは人間はあまり細かい事は気にしないようにできているらしい。話しているうちに私たち女の子二人で暇をもてあましているのはあまりにも可愛そうだと同情されたらしく、ダンスまで連れて行ってくれるとのこと。人から同情を受けるのはあまり気が進まないが、自分にとって利益となるならなぜか気にしなく出来ているのが人間。土台私たちはみんなとてもいい友人だったのでまあ、お言葉に甘えて、ということで待ち合わせを予定する。多分ブランドンは後からこの親切を後悔しただろう。実際会場に着いたのはもう11時近かった気がする。行くの車の中では私一人がべらべらしゃべっていた。誰もしゃべっていないと気まずいと思って気をつかったつもりだったがそれがよかったかどうかは謎。二人の邪魔をしないよう、とデートの二人をおいて私たちはさっさと会場に駆け込む。よく知らない人達とダンスし写真をとり、食べてしゃべって笑いまくっているうちになぜか時間はもう1時近く。気が付くとデートで楽しんでいるはずの二人がなにやら私たちを待っている様子なのに始めて気が付く。すっかり陽気になった私たち(少なくとも私は)帰路に着くことに。もちろん帰りの車でしゃべりまくってるのは私。このあたりでようやくブランドンは札幌伝道部ということを発見。同じ伝道部ということで懐かしい話もでた。ブランドンは女の子を全て家に無事に送って家に着いたのはもう時計が2時半を回った頃。もう絶対こんなサービスはしないと心に誓ったらしい。

この後、二人の接触はあまりなく、顔を見るといえばインステくらいであったが、特にお互い会話を交わすということはなかった。まず、私はブランドンが私に興味があるとも思ってなかったし、そんなに積極的に男性と親しくなろうという気もさっぱりなかった。これ以上デートで人生を無駄にする気が起きるにはもうちょっと時間が必要だった。まずは男より金だろう、というのが私のもっとー。ダンスから一週間はんくらいたった水曜日、インステの帰りにブランドンはひろみちゃん(デートにいったこ)を待っていた。暇をもてあました彼は私と挨拶をするくらいの余裕と時間があった。ブランドンの従兄弟スコットも丁度いて、紹介された私たちはしばらく話している間にブランドンはひろみちゃんを探しにいったりきたりしていた。ブランドンとひろみちゃんがどのくらい仲良かったかはあまり知らないが、インステの先生がひろみちゃんは日本人だし女の子だから誰かちゃんと家まで送ってあげてください、といったときに何故か自分がしなければ、と強くおもったらしい。スコットと20分くらい話した後で、従兄弟は帰り、戻ってきたブランドンと北海道の話に花が咲き始めた。そんなんでひろみちゃんが戻ってくるあたりにはすっかり盛り上がった私たちはそのまま車へ。思い返せばあったばかりの人の車の助手席に乗るということや、デートにまで行ったひろみちゃんが何故後ろに座ったのかは謎といえば謎だが、何事も気にしないのが私のいいところだろう。まあ、強いていえば、彼女のいない間にすっかり仲良くなっていた私たちをみて気分を害したのか彼女は怒っている様子だったので、私たちは二人の会話に戻る以外なかった。その晩、ブランドンと話していてとても楽しかった記憶がある。

実はこの2~3日前に私は大家さんに追い出され次の家に移っていた。追い出されて移った先がブランドンのいくワードと同じであるということは送ってもらったときに発見。しかし、私はまだ前のワードが好きでそっちに何週間か集い続けたが、ひろみちゃんがあれから私に同じワードにいたくないというようなことを毎週言われて、ちょっとむかっときた私は結局ブランドンのワードに集うことにした。思い返すに、実はブランドンと同じワードに集うというのが私たちが付き合うきっかけの大きな鍵となった。

カナダ漂流記1

カナダ漂流記といっても始まりはハワイである。2008年の始まりに、私は2年間も伝道から帰ってくる彼氏を待ち焦がれて待ち焦がれていた。ついに空港で運命の再開、、、ところが変わった彼をみて氷水をぶっかけられたような気分に。こんなはずじゃあなかったのに~~~~、と人生計画の変更を強いられた私。雷に打たれたってこんなに衝撃はうけなかったろう。

それから毎日毎日一体これからどうしようか考えた。彼となんとかしてみよう、と努力もしてみたがやっぱり駄目なものは全然駄目。一ヶ月毎日断食して(もちろん夕食は食べました)よく考えた。その時になぜかエテル書の2~3章を読む必要があるような気になって毎日毎日読んでいた。読んでいるうちに、今はアメリカに着たけど、ジェレドの兄弟のようにここが約束の地ではなく、どこかにまた動く必要があるといわれている気がしてきた。土台こんなに真っ黒に日焼けしてしまっては日本にかえっても浮きまくるだけだろう。もとから私は日本には適応できないだろうと母がため息まじりに話していたし。

春が来る頃には日本には戻らず、新たな土地にいく決心が固まっていた。一番希望はオーストラリア、日本人は多いし、国際色豊かでダイビング、アウトドア、ビーチにいろんなものが満載でどっから考えてもとても楽しそうだった。友人も何人かいてみんな家に遊びに来るように誘ってくれた。シドニーかなブリスベンかな?とわくわくしていた私だが祈りの答えは決定的にノーであった。カナダは結構下のほうの候補であったのだが、何故かカナダがいいと思った。カナダといえば知り合いもいないうえに白人社会な冷たい感じがしてどうしてもなじめなさそうだった。

まあ、とにかくやってみるか、という気分で一時日本に帰国。カナダといっても日本の33倍もあるということを知らなかった私は一体どこにいくか思案していた。知っているのはトロントとバンクーバーのみ。バンクーバーは暖かいし、日本人も多いということで惹かれていたが、お祈りの答えは、はっきりとしたノーだった。じゃ、トロントかな?と思っていたところ、出発一ヶ月前にカルガリーで会社を持っている日本人がうちのワードに訪問してきた。彼いわく、カルガリーの方が仕事が沢山あるということ。カルガリーっていったいどこ?と地図に向かった私。うちの家族はなぜかカルガリーの方がトロントよりお前にあっているということ。大都市は私にはどうも似合わないというのが母の意見だった。まあ、私もカナダで一攫千金あげるつもりだったので、仕事の多いほうがいいかと、賛成。偶然にもハワイの友達が何ヶ月か前にカルガリーに引っ越したらしく、いろいろ情報を提供してくれた。

カナダに移住する前の日にお父さんは私に神権の祝福を授けてくれた。敬虔に家族で集まって祈る。祝福が終わった後、母が不満げに父に、”ちょっと、素晴らしい神権者との出会いとかなにかそういう祝福はなかったの?”、といったが父は特にそう感じなかったといっていた。そんな横で私は苦笑交じりに二人のやり取りを聞いていた。そんなことは一理考えたこともあったが、3年半を無駄に費やした私にはそんなにすぐ新しい人を探そうという気合はさすがになかった。男よりお金がいいというのがそのときの本音だろう。

日本にいる間に結婚なんてまだしなくていいといつもいう父が珍しく、私の理想のタイプっていったいなんだと聞いてきた。理想ねえ、と考え、まあ、真面目に働く人で、優しくて、教会に熱心で、、、、あと、面白くて、身長がたかくて、、、、ついでに見かけはまあまあいけてる人かなあ、といったら父が、”お前は一体自分が何様だと思っているんだ”、と温和な父が憤慨しだした。ついでに、”お父さんの身長はそんなに高くないし、そんなの必要ない”とぶつぶついっていた。ここ6~7年で父が憤慨してるのを見たのはこれがはじめてではないだろうか?ちょっと心の中でおかしく思った私だったが、神妙な返答をしておいた。

振り返ると、この年の初めほど落胆し、自分の決定に自信を失った時はなかったと思う。特に祈ってその答えに従うということに対してこれ程恐れやためらいを抱いたことはなかった。でも、だからといってそれをやめる訳にもいかなかった というよりかは、それ以外のやり方は知らなかった。

カナダ漂流記

以前の家庭訪問先の姉妹の写真を見ていた。息子の一歳の誕生日に裏庭にヤギや豚なのど動物を連れてきてのパーティー。移動式動物園みたいなものかな。あまりの可愛い写真に見入っていた。何枚かの写真に彼女の姉らしい人物が写っていた(エミリー)。なんとなく見覚えが?と思いつつ名前を見ていると、その珍しい名前のつづりになにか引っかかった。

よくよく考えてみると、カナダに移ってすぐ私はホームステイしていたが、3週間後に移ることを決意。偶然みつけた彼女のお姉さんの(エミリー)家を一回見に行った2~3日後に彼女の家に引っ越した。彼女は30半ばの不動産やで家を何個かもっていた。きさくなお姉さんという感じの人だった。引っ越したのはよかったが、いってみると、驚きもいくつかあった。まず、ベッドがなかった。ベッドと呼ばれるものは床においてあるマットレス。布団で慣れている日本人の私ではあるがいままでマットレスだけの上で寝ている人を見たことがなかったのでショック。なにやらだまされたような気分に。あとは人からお金をつりあげようとするハウスメートたち。他にもいろいろあったが、今から考えれば彼女はひどい大家さんだったわけではなくカナダでは普通だったのがハワイから移ってきた私にはショックと見えることが多かったのだ。家賃もハワイのゆうに2倍はあった。

何日かごに今月の家賃と一ヶ月の敷金のチェックは書いたものの、まだ腑に落ちなかった私は契約書にサインはせずにおいた。移って3日後くらいに偶然友人からひとつの物件の空きがあると聞いた。実はそこに以前に電話をかけたのだが、変な応答が。かけなおしてみると、電話が壊れていた上に80代のおじいちゃんおばあちゃんで耳が遠かっただけらしい。そこでさっそく見に行くと、なにかその古めかさが気に入った。とにかく、現在すんでいる大家さんに話してみるといって帰った。その帰り道にチェックを銀行でとめて夜に大家さんと話した。移ったばかりで悪いので1~2ヶ月はいるつもりだと謝罪はしておいた。ところが翌日目が覚めると台所に、”今日中に荷物をまとめてでていってほしい”、とメモが。外は雪が積もりその日は国民休日。昔にエステで高い器具を売りつけられそうになって裏の階段から逃げは知った事も昔はあったけど、今度はその逆バージョン。泡を食って何日か前に見に行った大家さんに電話すると、今日移ってもいいということ!!!誰も知り合いのいない、まだ携帯電話もない状態は結構浮浪者に次ぐものだろう。

シック八苦でタクシーを呼んで大家さんに現金を残し夜逃げ状態で次の家に引越し。どうも大家さんをそうとう怒らしてしまったようだ。いやあ、悪気はまったくなかったんだけどなあ、というところ。
本人はけろっとしているけど、思えばカナダに着てからいろいろあったような、そういうことでカナダに着てからのことを書いておこうかと思う。